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(4)美術

ア.植民地時代
 
1880年代以前のオーストラリアの美術は、入植者がまだオーストラリアの自然と融和しておらず、未知なるものの観察という領域を出ていなかった。
 本格的なオーストラリアの美術というに足りるのは1880年代以降のハイデルベルク期以降のこととなる。

イ.ハイデルベルグ期
 
1880年代から1930年代は地方主義的な国民意識が高まった時期だが、絵画でもオーストラリア生まれの画家が、オーストラリアを自国として強く自覚しつつこの大陸の強烈な光と地形、また、過酷な自然を開拓していったパイオニアの生き方を描いた。
  メルボルンのハイデルベルグ派として知られるトム・ロバーツ、アーサー・ストリートン、フレデリック・マカバンなどが中心となって活躍した。

ウ.モダニズム期
 
1940年代になるとオーストラリア美術にモダニズムの影響が及んできた。第二次世界大戦後のオーストラリア社会は情報、交通手段の発達により、オーストラリアの外部の世界との距離が急速に縮まり、オーストラリアはもはや孤立した大陸ではなくなった。
 そうなると芸術家たちも国際原理に基づいて活動するようになり、彼らのオーストラリア描写もかつての牧歌風景とは異なり、大陸内部に潜む謎や自然の精気を追求する抽象性を帯びたものとなっていった。
 50年代、60年代になると美術の中心がメルボルンからシドニーに移るとともに、ヨーロッパに代わって、アメリカ、ニューヨークの芸術観が優位となり、画材も変化に富むこととなった。
 スタイルも象徴主義、幻想主義、新表現主義といった国際的なものに呼応するようになり、テーマも地域性を越えた普遍的なものとなっていった。

エ.多様化期
 
70年代は多文化社会が形成され、過去の伝統が大きく崩れ、芸術的価値も根本的に見直されるようになった。芸術の基準、方向性、手段、目的、意味などが失われ、アート・ランゲージ、ボディ・ランゲージ、パフォーマンス、フェミニズム、政治的行動主義などを通して芸術が特徴づけられるようになった。
 80年代以降は、明確な方向性、支配的なテーマや表現方式はなく、それぞれの作家が自由に個人の独創性を発揮する時代となっている。


植民地時代

作者

生存時期

作品

ジョン・グラバー ダイアナの水浴
ユージン・ボン・ゲラード コシオスコ山の北頂から北東を望む

ハイデルベルグ期

作者

生存時期

作品

トム・ロバーツ 1856−1931 駅馬車強盗、暴走、羊毛刈
アーサー・ストリートン 1867−1943 発破、黄金の夏
フレデリック・マカバン 1855−1917 パイオニア、迷子、運が尽きて
チャールズ・コンダー 農園ーNSW州リッチモンド
ジュリアン・アシュトン 金鉱堀り

モダニズム期

作者

生存時期

作品

マーガレット・プレストン 1883−1963 アボリジニの花、オーストラリアの花
キャサリン・オコーナー お茶の支度
シドニー・ノーラン 1997−1992 ネッド・ケリー
アーサー・ボイド 1920− 楽園追放、花嫁を賭けた羊毛刈人
ラッセル・ドライデール 1912−1981 万里の長城ーゴルゴル
マックス・デユパイン 1911−1992 日光浴

(5)文学

ア.植民地時代
 
最初のオーストラリアの出版物は植物、動物などを観察、記録したものがほとんどで、これらは主に報告書として本国に送られ、芸術的価値は低かった。
 19世紀半ばになると、詩人たちは、北半球に比べてオーストラリアの自然の厳しさを訴えるものが多く、オーストラリアの自然をよそ者の目で表現したものであった。

イ.ゴールドラッシュから第一次世界大戦
 
ゴールドラッシュから第一次世界大戦の時代を代表する作家としてはA.B.バンジョー.パスタンとヘンリー.ロースンがあげられる。パスタンは「スノウィー川からきた男」や「オールド.ブッシュ.ソングス」の編者として知られ、「ワルチング.マチルダ」は現在でも国民的愛唱歌として歌われている。
 また、ロースンは、「奥地の葬儀屋」などを含む短編集や数多く詩集を残し、国民的作家としての地位を築いた。
 両者ともオーストラリア生まれで、オーストラリアの特質を彼ら自身の言語で表現し、モチーフも都会ではなく、地方(ブッシュ)であった。

ウ.第一次大戦から60年代
 
20世紀に入るとオーストラリア社会の独自性を示す作品が次第に生まれるようになったが、その代表がヘンリー・ハンデル・リチャードソンであった。彼女が、1917年〜29年にかけて執筆した三部作「リチャード・マーニーの運命」にはゴールドラッシュ以降祖国イギリスとオーストラリアの間を揺れ動く開拓者たちの精神の葛藤が描かれている。
 また、ヨーロッパ文学の影響をうけた作家として、クリスティナ・ステッド(代表作「子供たちを愛した男」、「愛のためだけに」)と1973年にノーベル文学賞を受賞したパトリック・ホワイト(代表作「ボス」、「生体解剖者」、「台風の目」など)があげられる。
 両者ともヨーロッパやアメリカに長期滞在した経験を持つ作家であり、インターナショナルな視点にたち、個人としてのアイデンティティを探求するタイプの作家であった。

エ.60年代以降
 
60年代から80年代にかけてさかんに文学批評論争が行われる間、オーストラリア社会は多文化社会化し、オーストラリアの特質に執着するのではなく、さまざまな形の文学が可能となってきた。たとえば、ジュダ・ワテン、モリス・ルーリーなどのユダヤ系移民作家は、移民の視点でオーストラリアの生活を描いた。また、レバノン出身のデビット・マルーフ(91年にコモンウェルス作家賞受賞)は移民の疎外感を描いた。
 70年代以降はアジア系作家の活躍が目立ちはじめている。現在のオーストラリアの移民作家たちは、オーストラリア人の特質を追及するよりも個人としてのアイデンティティを探っている。それと同時に、オーストラリア人がアジアと共存する時代を迎えたことも感じさせる。

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