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オーストラリアの社会(1)

(1)多文化社会

         @白豪主義から多文化主義へ
 
かつて白豪主義国家として有色人種移住者や難民の移住を拒否してきたオーストラリアが、戦後急速に多民族国家・多文化社会となったのは第2次世界大戦直後に、大量移民政策を実施したためである。
 この大量移民政策は、当初、日本軍の本土攻撃に触発された大陸防衛強化と戦後の経済復興、経済成長のために必要な大量の労働力増を目的として開始されたもので、50〜60年代は、ギリシャ、イタリア、旧ユーゴスラビアから、60年代後半からはトルコ、レバノンなど中近東から、70年代後半からはインドシナ難民を大量に受け入れ、時々中断されながらも、90年代初頭まで続いた。
 第二次世界大戦直後の人口760万人は約50年で1000万人増加したが、その半数が移住者によって賄われたことになる。
  オーストラリアの多文化社会が進展したのは、オーストラリアの経済、政治面でのアジア太平洋国家化の促進によるところが大きい。
  1975年の連邦人種差別禁止法の制定により最終的に白豪主義が終焉し、以後、多様な文化、言語の存在と維持を認める多文化主義が現代オーストラリアの根幹をなすものとなっていった。
 現在では、多文化教育、多言語教育、多言語、多文化放送が実施されている。  

Aマボ判決の意味するもの
  オーストラリアは、移民文化が多数並存する多文化社会であるだけでなく、先住民族アボリジニの住む多民族国家でもある。 
  アボリジニなど今日先住民族と呼ばれる人々は長い間民族として取り扱われるどころか人間としてもまともに扱われてこなかった。
  しかし、20世紀になり、民族自決権がヨーロッパの民族集団に認められた後、アジア、アフリカの植民地に対しても適用され多くの新興国が誕生した。これに、触発され、先進国内の民族マイノリティーや先住民族の民族自決要求が活発化し、先進諸国も、彼らの長い居住の歴史と独自の文化、生活を認め、自治権を拡大する政策が取られるようになった。
  こうした流れから、最近のオーストラリアのアボリジニの動きを見ると1992年6月の連邦最高裁による「マボ判決」が大いに注目される。
  この事例は、オーストラリアの代表的先住民族の1つであるトレス諸島民のエディ・マボとクィーンズランド州政府との間に生じた小島(マレー島)の所有権をめぐる争いであった。
  マボの主張は「マレー島は先祖伝来の島であると同時に州政府の所有とはいえ何ら開発が加えれられたものではない」として返還を求めるものであった。
  マボ本人は、判決を待たずして、死亡したため、原告不在により、土地の変換は認められなかったが、連邦最高裁の判決では「アボリジニ、トレス諸島民はもともとの土地所有者であり、先住者としての土地に対する権利(native title)は白人の入植によっても否定されていない。」とするものであった。
  これを受けて1993年に連邦政府は補償措置プログラムを提示し、同年12月に先住権原法(native title act)を成立させた。
  この法律によって先住民が土地とのつながりを明らかにできた場合、土地の返還あるいは補償の請求手続が確定された。また、証明不可能な場合も考慮して土地買戻しの基金も設立された。
  こうして、アボリジニも、その地位を与えられ、オーストラリア国内で特別地位を占める人々であることが承認されることとなった。
  とはいえ、連邦政府が、アボリジニの独立国家を認めることはないし、アボリジニ自身もそれを不可能と考えており、その結果、オーストラリアは多様な移民による多文化社会化すると同時に、多民族国家の性格も強めるであろう。

Bハンソン論争
 
70年代後半以降、多文化主義が社会に浸透していったが、その反動も80年代後半以降顕著になってきた。
  つまり、アジア人の急増によりオーストラリアの伝統的文化・価値そして英語が相対化されると同時に、多文化主義により移民・難民の文化のみが不当に尊重されて不公平であるという批判が生じた。
  当初は、多文化主義の政策のもと大事には至らなかったが、先住民族に対する特別扱いへの不満と国民の間の国民的アイデンティティに関する議論のずれの問題は96年に忌まわしいハンソン論争を引き起こすことなった。
 96年3月の連邦総選挙で下院に初めて当選したクイーンズランド出身のポーリン・ハンソン女史は、「オーストラリアの先住民は、マボ判決以来より過剰な福祉政策により甘やかされている上に、アジア人は、自分の文化に固執しなかなか同化せずにいるので、オーストラリアの伝統文化が脅かされるだけでなく、将来的には、アジア人が増えすぎて、オーストラリアはアジア人に乗っ取られるから、早く政府は対策を打つべきだ。」と主張して、政府の先住民政策、非差別移民政策、多文化政策を批判した。
  ハンソン議員は、9月に連邦議会で演説する機会を与えられたが、この場でも、堂々と先住民政策、非差別移民政策、多文化政策に反対する演説を行った。
  この演説後、ハワード首相が表立ってハンソン議員を批判しなかったことから、東南アジアのマスメディアは、ハンソン演説を支持しているものと批判を始め、マレーシアのマハティール首相も巻き込み、国際論争に発展した。
  ハンソン議員は、世論調査からも、国内の反響が思ったよりも好意的だったことにより、勢いづき、97年4月にワン・ネイション党を結成し次期国政選挙では、全国に候補を立てると豪語した。
  ハンソン議員は、先住民族の福祉機関の廃止とアジア移民の停止を公約したことから、世論調査で25%もの支持率を得たことから、ハワード首相はようやくハンソン議員批判を始めた。
  しかし、時期が既に遅しという状態で、前政権が苦労して築き上げてきたアジア太平洋国家、多文化主義国家のイメージが危機に瀕することとなった。         

(2)平均的オーストラリア人(イメージ)

  統計の数字から見た平均的なオーストラリア人は、平均寿命が男性75歳、女性81歳。2.1人の子供を持ち、主要都市圏に自宅があり、冷蔵庫(99.5%)、カラーテレビ(93.3%)、洗濯機(90%)、電話(85%)、自家用車(80%)を持つという高水準の生活を送っている。
 最近、過去の生活水準は、徐々に低下気味であるとは言え、イメージで言うと、高賃金でゆったりとした労働条件に恵まれている。勤務後パブで一杯やって(せいぜい千円程度)から帰宅して家でくつろぐか、家の修理や庭の手入れをする。
 地価が安いため、プール付の一軒屋やオーシャンビューのアパートの購入も容易である。
  数万円出せば、車で30分以内のところのゴルフ会員権も手に入り、ヨットも多くの人が持っており、高級な遊びとは思われていない。
 休日にはアウトドアスポーツか近くの公園で家族でバーベキューを楽しむ。夏には数週間休暇を取って、キャンピングカーで遠出する等、日本と比べ、生活には随分ゆとりがある。
  また、夫の家事分担率も高く、育児施設、育児休暇も充実しており、女性の社会進出は目覚しい。

(3)教育

@就学前教育
 
オーストラリアの義務教育期間は6歳から15歳(タスマニア州は16歳)までだが、ほとんどの子供が義務教育の年齢になる前から幼稚園、保育園等なんらかの幼児教育を受けている。
 
施設により受け入れ時間はまちまちだが、共働きの両親の子供を対象とした保育園は1日10時間開いており、日本に比べかなり充実した状況となっている。

A初等教育
 
義務教育は6歳からだが、クイーンズランド以外の各州では、小学校に併設の準備学級(初等教育の一環としての幼稚園5歳児対象)を義務教育の一部としており、親が入学申請をする。
 その後、小学校で11〜12歳(州により若干異なる)まで初等教育を受けることとなる。

B中等教育
 
初等教育を終了すると無試験で公立校に進学できる。(私立、専門校は試験有り) 中等教育は日本の中学、高校にあたり、中、高一貫教育制を採っている。公立の中等教育機関はほとんどが男女共学である。
  義務教育は第10学年までで、第10学年を終了するとそれまでの学業成績の結果により義務教育終了証書が与えられる。この後、中退して仕事に就いたり、技術専門学校に進むことができる。
  第12学年が終了すると大学などの高等教育への門戸が開かれる。第11、12学年の学業成績と第12学年に実施される大学入学資格検定(HSC)の結果を加味した大学入学指標(UAI)が計算される。
 各大学やその学部は、入学を許可するスコアを示し、それに到達した学生は、自動的に入学でき、日本のような入学試験はない。日本同様、医学部、法学部等が難易度が高くなっている。
  近頃では、マスコミがHSCの高得点者の氏名、出身高校名顔写真を新聞に大きく掲載したり、一流大学であるシドニー大学、メルボルン大学の医学部、法学部入学者の出身校の特集記事を掲載したりと、進学校の序列化が進む結果となっている。
 また、最近の傾向として、女子学生の学力が大きく、男子学生を上回っており、男子学生の学力向上が課題となっている。  

C高等教育
 
大学の数は現在、体育、農業などの専門大学を含めると50校あり、そのうち総合大学は38校ある。2校の私立大学を除きすべて公立大学である。
 オーストラリアでは大学はあくまでも学問.研究の場と考えられており、進学率は10%未満である。3分の1近くがパートタイム学生で、1割以上が通信教育の受講生で、25歳以上の学生が4割近くいる事実を考えると、日本の大学のイメージとは程遠いものを感じる。
 
大学とは別にオーストラリアの高等教育機関にTAFEと呼ばれるものがある。これは、実践的な専門技術を身につけるための教育機関であり、在籍者は100万人を超え、大学生の倍以上を数える。

Dオーストラリアの日本語教育
 
1993年に行われた中学生対象の世界調査では、日本語を外国語として初等、中等教育で学んでいるのは世界で約109万人で、オーストラリアは、そのうち16万人と韓国に次いで第2位となっていた。
  また、国際交流基金が96年に実施した調査によると、オーストラリアでの日本語の学習者数は全体で25万人とフランス語やイタリア語を押さえてトップとなった。このように日本語学習熱が高い理由は、オーストラリアが多文化主義をとり、アジアの方に目を向け始めたこと。特に、日本は最大の貿易相手国として密接な関係があることが挙げられる。
  現在、オーストラリアでは、さまざまな教育機関で64言語が教えられている。その中でも、日本語は、小、中、高のほとんどで選択科目として教えられている。
 日本語は、連邦政府により、優先言語(14言語)の一つに指定されている。
 

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